アルゼンチンの片田舎、私生児で貧しい少女のエバ(エビータ)が、軍事政権の大統領夫人におさまったものの、早死にしちゃったよチクショウ、なストーリー。 …こう書くと身も蓋どころか、あらゆる方面からごめんなさい、な感じですが。 かの『オペラ座の怪人』だって、アンサンブル(その他大勢)だったヒロインがファントムにスターにしてもらったのに、目の前に顔よし家柄よし金持ちのぼんぼんが現れた途端、ファントムを「顔が悪い」という理由で捨てちゃったんだぜ、って話になるし!
すんません、両方とも好きですよ?
さて。 ほんま、半年ぶりくらいの観劇です。 『エビータ』は観たかったんで、名古屋まですっとんだ甲斐がありました。ストーリーについては薄ぼんやり〜それこそ冒頭に書いた一文の、『早死にしちゃった』を除く部分しか知らなかったし。10年ほど前のマドンナの映画も観てないし。 歌もタイトルだけは数曲知ってはいたんですが、どういう使われ方をしているかなんて知りませんでした。まさしく白紙です。
物語の進め方は、『エリザベート』を思い出しました。世に出たのは、勿論『エビータ』のほうが早かったです。 主人公の死から始まり、そこから「彼女の人生を語ってゆく」展開です。狂言回し的な進行役がいるところも同じ。
いきなり、エビータの国葬から始まります。 軍人たちに担がれた棺おけ(後に、エバが軍人に嫌われていたことが判るのですが、それを考えるとこのシーンってなんか含みがありますね)。エビータの棺です。なんか、金属的で棺おけっぽくない。舞台では説明されていませんが、パンフによると、彼女の遺体を「ミイラ化」しようとしたらしいので、そのためなのかしら。 国民が嘆いているさまの音楽は、すごい不気味です。音自体が不調和音。それにさらにズレた感じで歌の和音。不穏感をあおります。いや、これって歌ってるほうはしんどいだろうなあ、と。
そこからエビータの「成り上がり」人生が語られます。
田舎の村で私生児として生まれ、蔑まれた彼女は、その境遇からのしあがりたいと考えてます。 15のときに、村のクラブにやってきたタンゴ歌手と一夜を共にし、それをネタに大都会ブエノスアイレスに出るわけです。 オトコのほうは遊びだし面倒だし、「都会は危ない、狼ばっか!」と逃げようとしますが、エビータは「それがどうした」と。 云っときますが、15ですからね?淫行罪ですからね?
ブエノスアイレスに出てからが凄い。 「ハロー、ブエノスアイレス、とうとう出てきたわ♪」なあたりはまだいい。
舞台の真ん中に、家の玄関のセットが出てきます。玄関だけ。壁とドア。それだけ。 ドアが開いて、件のタンゴ歌手登場。別れたらしいです。 「恋の終わりは寂しいわ♪」なんて歌ってますが、正確には【捨てた】んですね。だってはっきり「恋じゃない」って歌ってもいますし。 玄関が回転すると、また別の玄関。そこから出てくるのはカメラマン。 やっぱり「恋の終わりは」「あなたの役目は終わった」。 さらに玄関が回転、今度は玄関からプロデューサーが。そして以下同文(笑)。 またも玄関が回転、そこから今度はわらわらわらと男たち。 十把ひとからげに捨てられてます。
つまりですね、自分の役に立つ男を【恋人】(そう思ってるのはおそらく男だけ)にし、用がすんだらポイ、の繰り返し。 ポイ捨てしてながらのしあがってるワケです。
彼女はラジオを通じてスターになります。 どうも、女優としてはぱっとしませんでしたが、声優としてスターになったらしい。ラジオの時代ですからね。 スターとして華やかに社交界に出入りするようになりながら、彼女は次の【カモ】を探してます。ええ、まだ上を狙ってるわけです。
そんなエバの思惑をよそに、イギリスに牛耳られている現状が気に入らない軍部が、軍事独裁政権を樹立しようと水面下で画策しています。軍部の中の、同じ考えの者同士の中でも、やっぱり自分が一歩先んじようとお互い腹の探りあい蹴落としあい。 そのあたりは『エリートのゲーム』。 軍人たちが椅子に座り、ふんぞり返って「どんな手を使っても自分が出し抜く」ようなことを歌い、やがて音楽にあわせ椅子の周りをぐるぐる〜椅子がいつの間にかひとつ減り…はい、椅子とりゲームですね。大変判りやすい。 それを何度か繰り返すんですが、どんどん歌のテンポが速くなってく。ゲームっぽくなってるといえばそうですが、凌ぎあってる軍人たちの焦燥感の表れだとも思えます。 最後、たったひとつの椅子を争うふたり。 なんと、勝者は音楽がやむ前に座ったやつ(ズルイ!)。
彼がベロン。エバの【カモ】になる男。
当時、大佐だった彼は福祉大臣の地位を射止めてます。彼主催のチャリティーの場でエバと出会い、お互いの利益の一致から手を組みます。このへん、かなりビジネスライク。色恋の匂いは感じられません。 エバは早速、ベロンの自宅へ行き、彼の愛人(16だってよ、えええええ)を「ていッ」とばかりおっぽり出します。すげえ。 や、ほんま、さっさとトランクに荷物をつめ、それを愛人に渡して「さいなら!」って感じでエビータ。あんたってば。
軍部はエバに対して、好感を持ってないどころか嫌ってます。我が物顔で司令部にやってくるのが許せない、と。 貴族階級も同じ、「成り上がり者」に対する視線は冷たいのです。
そんな中で自信を失うバロンに、エバは「民衆を味方に」と。 エビータは民衆をあおってあおって、ついにバロンは大統領選挙に勝つわけです。 エビータ、どん底からファーストレディへってわけですね。もぎとりました。
エビータはヨーロッパで外交をしたり(イギリスには冷たくあしらわれますが)で、国民からの人気は絶大。 さらにばらまき政策ですね。貧しいひとにお金をばらまく。その財源は寄付金。 その寄付金がくせもんです。 自分を馬鹿にし見下げてきた貴族や上流階級のひとたちの身包み剥ぐわけです。まさしく剥ぐ。ズボンまで剥かれてたよ。それじゃ追いはぎ…。 ここで、「金は出てゆく湯水のように」という曲が使われるのですが…てっきり私、エビータが高価な宝石や衣装を買い漁るからだと思ってたんですが違った。「(ばら撒き政策で)金は出てゆく」ということだったんです。
おかげで多くの国民から愛されたエビータ(でも軍部からは思い切り嫌われていた)は、副大統領になる野望を持ちますが…結局ガンに蝕まれ、33歳で息をひきとります。
最後があまりに静かに終わるので、えええ、と。なにせエバが息を引き取って終わるから。 一部がまさしく、貧しい民衆から圧倒的な支持を受けた熱い感じの幕切れだったので、ひどく対照的に思えました。
エバが劇中、頻繁に、「国のため」「貧しいひとびとのため」と繰り返すわけですが、ほんまにそうだったのかな、と。
最初は「自分を見下げた者を見返してやりたい」だったはず。それがいつのまにか、変わってる。 別に変わることはいいのですが、なぜ変わったのか、そのあたりの描写が欲しかったなあと。 ひとを踏み台にしてのしあがることしか考えてなかった彼女が、本当に「国のため」と思うようになったなら、その転機が欲しいような気がしました。 だから、豪華な宝石・衣装をつけて国民の前に出るのも、「わたしは貧しい階級の出身だったけど、ここまでやった。他のみんなも夢をもって」と云いたい為だったといいますが、そのへん、ちょっとどうかな、と。 どっかに「やったわ。のしあがったわ」な顕示欲がなかったかなあとも。
あと、気づいたこと。 『共にいてアルゼンチーナ』。これ聞いたことがある曲でした。かなり有名な曲だそうです。 そんで、その中の一部分が『CATS』の『バストファージョーンズ』の歌に似てて…まあ同じロイド=ウェーバーだからいいのか?
名古屋名物アンコール。 今回のにゃごやのみなさんは、どんだけ粘るかな粘るかなーーーーっと楽しみにしてたのに。
…3回だけでした。 客席が明るくなったらさっさと諦めてた。前は明るくなっても根性でみなさん、拍手してたのに。
どうした、名古屋!
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