タイトルどおりです。 マリー・アントワネットのお話です。対象として、もうひとりの『M・A』であるマルグリット・アルノーが配されてます。 架空の人物と思われるのが、マルグリット(おそらく似た位置にいた複数のひとがいたと思いますが)とシスター・アニエス、そして錬金術師カリオストロ伯爵以外はすべて実在の人物。
全体に見て、「台詞が多い」のにびっくり。音楽はクンツェとリーヴァイのコンビなのですが、このひとたちの作品って台詞が殆どないんですよね。ほぼ歌。ミュージカルと云うより、オペレッタに近いかも。そのつもりで観ていると「喋ってるよ」「また喋ってるよ」(笑)。
狂言回しというか、状況説明役がボーマルシェ。『セビリアの理髪師』を書いた脚本家。 いや、ここで思い違いが。 前評などで、この狂言回しがてっきりカリオストロだと思ってたんですね。 実際、幕があいてみると、その役はボーマルシェでした。あちらこちらに顔を出し、あおったり状況説明をしてみたり、とほぼ出ずっぱりです。『エリザベート』のルキーニの役どころそのまま。
ではカリオストロはと云うと、ボーマルシェの言によると「時代を旅する」みたいな感じ。 彼のさじ加減でひとの配置をきめ、ものごとが進んでゆくのではありますが、彼は一切手をくだしてません。単に配置するだけ。 超越した存在の象徴なのかもしれないんですが。実際に考え動いてゆくのは、配置されたひとたち次第、という意味で。 だけどなんか、中途半端な感は否めません。誰とも絡んでないんですね。傍らに立ってたり、陰でじっと見てたりはあるんですけ ど。超越というなら『エリザベート』の死の帝王トート閣下だったりするんですが、彼は配下を動かし、自らも動いてたし。 …死の帝王より格が上なのか錬金術師! ついでに。この役は山口祐一郎氏なのですが、毎度毎度のレザースーツにひざ上ブーツ。トート閣下もコロレド大司教猊下もそう だったよね。…衣装部には彼にあうものの在庫がそれしかないんじゃないかと(なにぶん、公式身長185pは嘘だと思えるほどの背の高さである)!がんばれ東宝。
では中身。あちこちにとびつつ。
アントワネット。 はっきり云っておばかさんでした。結局、彼女は一生、現実を見てなかったんじゃないかと。見えているのは自分だけ。 夫は勿論ですが、愛人であるフェルセンのことも実際は見ていなかったって感じです。 自分が王妃であることは知っている、だけど王妃が何かは知らない、という。自分の半径数メートルの世界にだけ生きてたんだな。 贅沢をして遊ぶときも、民衆の声を聞く機会を蹴ったときも。また簡単に「民衆を撃て」と云ってのけてしまうところも。 「王妃のプライドは、すべてを捨てても護るものだったのか」という台詞を、最後にフェルセンが云うのですが、まったくその通りで。 ましてやそのプライドの中身がからっぽだったなら、なおさら虚しい。 なにもかも持っていたけれど、『自分』だけは持っていなかったM・A。
役を演じていたのは涼風真世さん。ヅカの男役だったわりに、お声が高かったです。一路さんや香寿さんあたりは低かったんで、驚きました。
もうひとりのM・Aであるマルグリット・アルノー。 彼女は、初めてであったアントワネットに馬鹿にされ、歴史的名台詞「お菓子がないならケーキを食べれば」を云われてしまうんです。そもそも偶然もぐりこんだパーティで、出席していたアントワネットに民衆の窮状を訴えた挙句だったもんで、その後の彼女は絶望を歌います。舞台につっぷしたままで。今まで観た場合、歌うときは顔をあげてたからね。ちょっとビックリしました。 衣食住に困っていた彼女をラバン夫人という売春宿の女将が拾い、売春婦になるのを拒むマルグリットに、「自分を売るんじゃな い、自分の身体を売るんだ」。ラバン夫人は、後に「売春宿を経営していた罪」で鞭打ちにあい命を落とすんですが、そのときに「恩人だ」とマルグリットは云うんですね。ラバン夫人は決して悪いひとではなかったと。 最初はただの浮浪児っぽかったマルグリットが、だんだん思想というものを持ってゆき、迷ったり間違ったりしながら進んでゆく姿は「なにも持っていないけれど、自分だけは持っている」という、アントワネットの鏡のような存在なのかもしれません。
さて、このマルグリット。 母親から聞いたうたを歌ってます。その歌は元々、彼女の父親が歌っていたものだそうなんですが、実際、彼女は父を知らない。 シスター・アニエスの「おとうさまはあなたの学費を、きちんと届けさせていた。オーストリアから」の台詞から、マルグリットの父親は外国人なのだということがうかがわれるんですね。 2幕で牢に繋がれたアントワネットの小間使いを、マルグリットがつとめるんですが、そこでふたりが同じ歌を知ってることに気づきます…てっきり「実はふたりは姉妹でした」ってオチが展開されるかと思ったんですが(笑)。そしたら『ラ・セーヌの星』だよって。
フェルセン。 井上芳雄くんはあいかわらずのプリンスっぷりっでした。 だけど全体に抑えた感じでしたね。彼はすごく献身的に、己の身の危険も省みずアントワネットを救おうと奔走するんですが、それをまあ、ことごとにアントワネット自身がぶっつぶしているという!なんて報われない。 ほんま、ひたすらにアントワネットを愛するわけですよ。人生ほぼ捧げてますよ。かわいそうに、アントワネットと出会いさえしなければ、なんて思うのは間違いでしょうかね。 最後、彼女が「王妃」にしがみつくあまりに状況をとうとう理解しえなかった現実に、フェルセンはうなるように泣いてます。ほんま、唸ってた。びびび、びっくりした!その後つっぷしたまま歌に入りますが、マルグリットの冒頭のスタイルとまったく同じ。 絶望をあらわす演出をかさねているんでしょうか。
オルレアン公。 とにかくずるい男でとおってます。目的のためには手段を選ばん、という。 最初の舞踏会では、なんか「馬鹿殿」っぽいメイクで「おお」と思いましたが、革命が進行してゆくにつれ、だんだん冷徹になってゆきます。冷徹さは最初からなんですが、仮面を脱ぎ捨てたという感じですね。どんどんアントワネットと国王を追い詰めてゆく。 舞踏会のときよりも、次第に台詞にあえて感情をこめないようにしている風にも受け取れました。
ルイ16世。 ほんま、彼は普通のおっちゃんだったら、女房の尻に敷かれながらもつつましく暮らしてゆけただろうに、と思いますよ。 奥さんは愛人つくってるのに、それでも奥さんを愛しちゃってるところがなんとも。オルレアン公の暗躍にしても、アントワネットが本能的に彼を敵とかぎ分けているのに対し、「僕の従兄弟だよ」と庇うあたりがおひとよしすぎますよ。
アニエス。 過激に流されがちなマルグリットや世相に対し、ひたすら良心を見失わない姿勢を貫きます。終始一貫。その姿勢が「貴族ではないか」との疑いも持たれるわけですけど。 衣装のせいか、アルトのお声を想像してたんですが、かわいい声の方でした。マルグリットの元教師だっていうから、もっと落ち着いた感じかと。
ランバル公爵夫人。 アントワネットの贅沢シーンで、「わたくしの親友」と呼ばれ、「あなたのために心ばかりの贈り物を」ってんでベルサイユにお城を 買ってもらいます。たかってるだけかな、と思ってたら、最後までアントワネットの側を離れず、一緒に牢入りし、最後には暴徒に殺されて首を串刺しにされるという。彼女には気の毒ですが、ほんまに親友っつうか忠義だったんだなあ。
この串刺しシーン。 「外の空気を吸わせて」と一時、牢の外に出たまま帰らず、窓からアントワネットが現場を見てしまうんです。そして客席の通路を民衆たちが行進しながら舞台にあがってきます。手に手に旗やら長い棒を持って。…その棒の1本には、首が刺さってます。まじ。 これね、席によってはうっかり目が合うよ?生首と。ましてやあそこの入り口で棒もって待機してますからね、1階後部座席はわかるんだよね。舞台に集中してて、ふと視線を外すと目の前に生首。心臓に悪そうだ。
ルイ・ジョゼフ。 身体が悪そうに歌ってて、直後に「天に召されました」。 確か彼は脊椎カリウスで亡くなってるんで、なんかそのあたりの説明が少し欲しかったような。
ボーマルシェ。 先にも言いましたが、狂言回し。あちこちに顔を出してます。後述の練成シーンのあとでは息を切らして「あーきついしんどい」と舞台前方に座り込み。 「(指揮が)早いからさ」とオケピの指揮者に悪口をこぼしてみたり。 なかなか愉しかったです。
そしてカリオストロ。 わたし、山口氏好きですし、歌もよかったのに、構成上あんまり意味がないような役どころ。 手に持った棒であちこちから火花出すもんで、オペラグラスで追ってると目が目が目が!な一時ムスカ状態になりますよ。 また、棒のおかげか、いつもの怪獣うたいU(両足をふんばり両腕を振り上げる)があまりなかったです。そうか、何か持たせりゃ いいんだ! フランス革命の始動となる「首飾り事件」。結果的にそれが起こったのは「七つの大罪」をカリオストロが練成した結果、ということになってます。七つの大罪はいろんなひとの中にあり、大罪を内包したひとたちを円陣に配置してゆくのですが、アントワネットだけはトルソーになってます。勿論、トルソーですから首がない。ただ、首のところに赤い花を飾っているのが、未来を暗示しているような…。
アンコール。 袖に引っ込むときに、たぶん、山口氏のマントにならったのか、オルレアン公がが上着の裾をはらいのけます。続いてオルレアン公にルイも。最後のアントワネットはスカートの裾を払いながらジャンプでひっこんでました。 そのあとのアンコールではがっちりアントワネットとマルグリットが抱きかかえあってたり。 あ、井上くんもはじけてたね。
今回のお客さんは団体客が多かったせいか、のりが悪い。 舞台のアンコールとかわかってなくって、ちょっと残念。 オケピの指揮者が一生懸命あおってましたけど。
ということで、錬金術師の存在以外は結構満足した次第です。
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