■□ある朝□■ (2004.04.17)


 僕はいつものように自室で書物を読んでいた。
 なんてことはない、普通の朝。
 その時だ。扉を叩くする音が聞こえたのは。

「豪鬼くんどこにいるか知らない?」
 扉を開けるやいなや、麗が尋ねる。
「豪鬼がどうした?」
「豪鬼くんがいつまで経っても朝食を食べに来ないから、部屋に行ってみたんだけどいなかったの」
「豪鬼が…?」
 彼は、黒田城でそうであったのだろう、いつもほぼ同じ時間に起床する。すっかり太陽は高度を上げているこの時間まで、朝食を摂りにこないというのは珍しい。
 自室にいないということは、朝食も摂らずにどこかへ行ったということだろう。
 ――ちっ。
 思わず舌打ちをした。
 前世で共に戦った仲間とはいえ、今の彼は敵側の人間だ。いくら術が掛けられていると言っても、正直なところ緋嘉見の内部を自由に歩かれるのは、あまり気持ちのいいものではない。本人には敵、味方という認識はないようだが、自分に害を及ぼすと判断すると、容赦なく向かってくる。実際、緋嘉見に来てすぐに彼は何人もの警備兵に怪我をさせている。緋嘉見の中で彼と戦って勝てる者は、前世で共に戦った仲間以外にはいないだろう。

「わかった。探してみよう」
「あのね、私も豪鬼くんを探したいんだけど、澪姫さまに呼ばれてるの……」
「あぁ、僕ひとりで十分だから、澪姫のところへ行くといい」
「ごめんね。豪鬼くんのご飯、温めるだけになってるから」
 そういい置くと麗はその場を去った。

 さてと、どこから探そうか。

−−−−−*−−−−−−*−−−−−*−−−−−*−−−−−*−−−−−*−−−−−

「不破、ちょっといいかい?」
 扉を軽く叩きながら声を掛けた。
 返事はない。しかし、誰かがいるのであろう、不破の声が聞こえる。
「……そっとだ・……そう、そーっと、ゆっくりな。……おいっ。だめだって、そんなに勢いよく入れたら……。
・……あっ、…あぁっ…だめだめだめ、…やっ、やめろっ、豪鬼っ…」

「豪鬼はそこにいるのか?!」
 僕は、思わず声を張り上げ、バタンと扉を開けた。

「うっ………」
 扉の向こうに僕が見たものは・…………何もなかった。否、何も見えなかった。
 不破の部屋は、ふたを開けた玉手箱のように、もうもうと煙を吐き出している。

「……げっ、水貴?」
 白煙の向こうにいる不破が声をあげる。
「不破、これはいったい何事だっ」
 予想外の出来事に、思わず声を荒らげた。
「…ちょっと待ってくれ、とりあえず、窓開けっから……」
 手探りで窓を探しているのであろう。なんども何かに足をとられたり、ぶつかったりしているようだ。
 しばらくして壁をぺしぺし叩く音がした。そして、ようやく開錠と窓を開ける音がする。

「……いや、手持ちの煙玉が少なくなってたから、作ってたんだけどよ」
 ガチャン、バタン、と物と物がぶつかる音、そして、おそらく不破が物にぶつかる音が派手に響く。
「…やってみたいって豪鬼が言うから、やらせたら…」
「そうだ、豪鬼はそこにいるのか」
「いるぜ。おい、豪鬼。……ごぉきぃ」
 不破が呼びかけるが返事はない。
 煙は一向に晴れる気配はなく、僕は部屋に入るのをためらった。
 
「豪鬼〜、返事しろぉ〜」
 不破が何度呼びかけても、返事はなかった。
 ――ちっ。
 本日二度目の舌打ちをした。
「この煙、どうにかならないのか」
「……とりあえず、発生源を外に出してもいいか」
「……止めることはできないのか」
「無理。薬品が混ざっちゃったからなぁ」
「……仕方ない。窓から庭に出せ」
「……わかった」

 僕は、見えない煙の向こうで、不破が悪戦苦闘している音を聞いていた。
 パタン。
 ――不破が何かを倒したらしい。
 ゴンッ。
 ――不破が何かにぶつかったらしい。
 ドンドンドン。
 ――不破があまりの痛さに飛び跳ねているらしい。
 バリーン。ジューッッ。
 ――不破が薬品の入った瓶を割ったらしい……と水貴が思った瞬間、白煙は今まで以上の濃度と勢いで噴出してきた。

「何をやってるんだっ!」
 思わず叫んだ。今や煙は部屋だけでなく廊下にも充満している。
「……わりぃ。瓶を蹴っちまった。……こりゃだめだ。煙が収まるのを待つしかない」

 やがて、煙を火事と間違えて駆けつけた警備兵たちと一緒に、窓という窓、扉という扉を開けて換気を行い、ようやく不破の部屋は全貌を明らかにした。
 そこには、大地震が起きた直後のような惨状の中に、ぽつんと不破の姿があるだけだった。

「……今後、部屋で薬品を扱うことは、一切禁止だ!」
 冷徹な視線で不破を射抜くと、僕は、肩を怒らせて去った。

−−−−−*−−−−−−*−−−−−*−−−−−*−−−−−*−−−−−*−−−−−


 扉を開けると、不知火はベッドに上体を起こして座っていた。
「ちょっといいか?」
 許可を得て、ベッド脇へ向かう。
 不知火の回復力は凄まじい。あれほどの重症を負っていながら、もう起き上がっている。
 彼は、赤い糸のようなものを数本持っていた。

「……それは?」
「これですか?」
 そう言った、不知火の瞳が妖しく煌いたのを、僕は見逃さなかった。
「…これは、私と一馬を結ぶ、運命の赤い糸……」
 不知火は、手にしたそれを左手の小指に巻きつける。
 僕は虚をつかれて、その動作を凝視してしまった。
「…なーんてねっv」
 彼らしくない口調と内容に、ゆっくりと手元から顔へ視線を上げると、そこには、妖しく煌く瞳と口の端だけでいやらしく微笑む不知火がいた。

「…………………………」
 不覚にも、身動きひとつできなかった。蛇に睨まれた蛙だ。

「……嘘ですよ。そんなに硬くならないで」
 手を揺すぶられて、我に返った。
「……あ、あぁ・……」
 見れば、不知火はいつもの不知火だ。さっきの表情が見間違えだったのではないかとさえ思える。
「これは、豪鬼の髪の毛です」
「……ご、豪鬼の……。豪鬼はここに来たのか?」
「ええ。何か興奮していて、不破がどうしたとか、煙がどうとか言ってましたけど……」
「それなら、さっき…」
 と、不破の部屋で起きた一件を説明する。

「それで、その後、彼がどこに行ったかわかるか?」
 出鼻をくじかれてしまったが、ようやく本題にたどり着くことができた。
「わかりません。私は彼の髪の毛が手に入ればよかったので、それ以外のことは…」
 結局、ここにいたことがわかっただけで、手がかりはなしだ。
 次に彼が行くとしたら、朱童の部屋だろうか…。
 深く考えもせず、聞く。
「……なぜ髪の毛を?」
「なぜかって?」
 そう言った、不知火の瞳が再度妖しく煌いたのを、僕は見逃さなかった。
 ――やばい。危険だ…。

「…昨日、一馬と庭でいい感じだったんです」
 ゆっくり後退る。
「…一馬が私のことをとてもよく感じてくれて、私も一馬のことをすごく感じて」
 妖しく煌いた不知火の瞳は、すでに僕の姿を映してはいない。
「…いつもなら、少し触っただけでも嫌がる一馬が、触れることを許してくれて」
 ベッドから扉まで、こんなに距離があっただろうか。
「…とってもいい感じだったんです」
 走り去りたい気持ちを抑えて、ゆっくり後退る。
「…あわよくば、一馬の唇が奪えるかもしれないと期待していたのに」
 扉まであと十歩。
「…そこへ豪鬼が『こんぺぇとぉ〜』なんて叫びながら、どたどた走ってきたから」
 扉まであと五歩。
「…せっかく穏やかだった一馬が一気に体を固くして」
 扉まであと三歩。
「…私のことを突き放したんです」
 右手が扉にかかる。
「…突き放したんですよっ」
 不知火の拳は震えるほどに力強く握られていた。
「…あの時、豪鬼さえ来なければっ」

 ヴォッという音と共に不知火の霊力が全開になるのと、僕が扉を開けて脱兎の如く逃げ出したのは、ほぼ同時だった。
 使用目的を聞いたつもりが、原因を聞かされてしまった。しかし、使用目的はアレしかないだろう。
 これは一刻も早く豪鬼を保護しなければ……と思った。

−−−−−*−−−−−−*−−−−−*−−−−−*−−−−−*−−−−−*−−−−−

 果たして豪鬼は朱童の部屋にいた。

 扉を開けた時に向けられた朱童の表情は、初めてみたもので、すこし驚いた。
 助けてくれ、手に負えないという、縋るような顔。
 彼にもこんな顔ができるのかと思う。

 見れば、彼の前では、豪鬼がしゃくりあげながら泣いていた。
「……不破…ひっく…言う通りやった……ひっく……煙いっぱい…えっく……火事……窓開いた……ひっく……
不知火呼んだ……えっく……髪引っ張った……ひっく……」
「……泣くなよ。泣いてたらわからないだろ」
 朱童はなんとか豪鬼をなだめて、言いたいことを聞き取ろうとしているらしい。
 しかし今までの顛末を知らない彼が、豪鬼の説明から真相を聞き取るのは難しいだろう。
 つまり、「不破の言う通りに煙玉を作るのを手伝ったら、失敗して、煙が充満した。それを火事だ思った。その時窓が
開いたので、不知火を呼びに行ったら、『あの』不知火に髪を抜かれて、驚いて逃げてきた」と。

 朱童は僕を見ると、首を振ってため息をついた。
 豪鬼が泣いている原因に、自分が深く関わっているとは思ってもいないのだろう。
 何とか事の真相を聞き出したとしても、彼に不知火の行動を理解できまい。

「事の発端は不破のせいだが、こうまで豪鬼を混乱させた原因は君にもある。自業自得だね」
 はじめは豪鬼をなだめるのを手伝おうかと思ったが、やめた。
 考えてみれば、僕が朱童を助けてやる必要も、豪鬼を不知火から守ってやる必要もないのだ。朱童はもちろんのこと、
豪鬼だって自業自得なのだから。
 一番の被害者は、今日の予定がすっかり狂ってしまった僕なのだ。
「……原因ってなんだよ。俺が豪鬼に何かしたって言うのか?」
「さあな。考えてみたらどうだい。きっと君にはわからないだろうが……」
 半ば、ここまで振り回された八つ当たりで笑ってやる。僕はそんなにヤサシクない。
 助けてくれると思った相手が、助けてくれないとわかったのだろう。彼の目はいつものようなきつい視線へ変わった。

「豪鬼の朝食が食堂にある。温めて食べさせてくれ。それから不知火に謝っておくように」
 豪鬼になにかあったら君のせいだからな、と言い置くと、部屋をあとにした。

 結局、豪鬼がなぜ朝食を食べずに、不破の部屋にいたのかは謎のままだった。


 

しおりさまからまたまた頂いたSS〜♪
『ひだまりにて』で「さらに宿題」「さもないといぢめる」という文句がきいたのか、やってきましたッ!!『こんぺいとう』の続き、という設定のお話。

ええ、前回とはうってかわった『鬼畜モードな不知火』がすごい(笑)。
一馬よ、おのが身の安全の為には、豪鬼に感謝しなくっちゃいけませんね。
責任もって「不知火の呪い」から豪鬼を護るようにッ!!
なんだか泣いてる豪鬼も可愛い〜。
そして「水貴に縋るような視線を投げる一馬」もみもの。
これはもう「泣く豪鬼」「振り回される水貴」「アヤシイ不知火」を見物に行く
「あなたと訪ねる歴史の街・緋嘉見探検ツアー」でも決行していただかねば!

考えてみると。
原因は豪鬼にこんぺいとうをあげた麗のような気もしますが…。
そのこんぺいとうが「澪姫が麗にあげた」ものであったらば〜
水貴よ、どうする(笑)?