■□ひだまりにて□■

(2003.03.27)


「おい、なにしてるんだ」
 一馬は驚いて声を掛けた。
 不知火の部屋にいただきもののみかんを届に行くと、彼は着替えをしていた。

「なにって、着替えですよ」
 見てわかりませんか? という顔をして不知火は言う。
「そんなことはわかるさ。着替えて何をする気だと聞いてるんだ」
 体の外側どころか内臓も傷だらけで、起き上がることもままならならなかった彼は、ようやくおかゆ程度の食事ができるようになったばかりだった。
 まだ包帯も取れていない。痛々しい姿だ。

「今日はとっても天気がいいからちょっと散歩に行こうと思いまして。食べられるようになったおかげか、体調もいいですし……」
「何を言ってるんだ。まだ寝てろ」
「大丈夫ですって。ちょっと外に出るだけですから。ここで寝ているだけというのは退屈なんです」

 退屈というのは嘘ではない。
 皆が気遣って、よく部屋に来ては話し相手になってくれた。それでも、常に誰かがいるわけではない。
 誰かがいるといっても、澪姫を除けば出会ったばかりの人ばかりだ。

 決して人見知りをする性質ではない。お互いに前世の記憶があるせいもあり、出会ったばかりなのに懐かしい空気すら感じることもある。それでも彼はいまいち仲間に馴染めずにいた。なぜか一歩引いてしまう。気を使ってしまう。

 水貴が置いていってくれた本も、あらかた目を通してしまった。
 一人でいると、前世のこと、師匠のこと、月抄のこと、いろいろなことが脳裏に浮かび、鬱々とした気持ちになる。
 考えているだけでは何もわからないとわかっているのに、考えることをやめられない。

 そんな気分でいたところに、この陽気だ。
 冬のさなかだというのに、風もなく、陽射しも暖かい。一気に春が訪れたかのような、そんな天気。
 じっとしていられなかった。

「退屈だとかそういう問題じゃないんだよ。まだ起きるのは早いって。なにかあったらどうするんだ」
「なにかって? ここは緋嘉見の結界の中ですよ。そうそう『なにか』は起きないでしょう」
 腰紐を結びながら不知火は続けた。
「そんなに心配なら、一馬も一緒に行きませんか?」
 もちろん一馬は、けが人の不知火を一人で散歩に行かせる気はこれっぽっちもなかった。
「あっ、そのみかんも持っていきましょう。さあ。」
 みかんが入った籠を持ったまま入り口に立ち尽くしている一馬の横を、不知火はそう言いながら通り過ぎた。
 一馬は何も言うことができないまま、不知火のあと従者のように追いかける。

 「今日は本当に暖かいですね」
 先日屋根に積もった雪は半ば滑り落ち、しがみつくようにわずかに残ったそれは、軒先から雨のように姿を替えてポタリポタリと落ちていった。
 空は、冬独特の重くたれこめた灰色ではなく、柔らかな青色で、所々に白い雲が浮いていた。
 決して雲が多いわけではないのだが、さきほどから何度か太陽が隠れ、地上は微妙に表情を変える。

「緋嘉見はあまり変わっていませんね」
 ゆっくりと歩きながら不知火は言った。
「そうなのか?」
「はい。八年前来たときと同じままです。……あのときのまま」
 不知火は、変わってしまった自分にそっとため息をついた。
 自分もあのときのままいられたら、どんなによかったろう。
 己の存在に不安を抱くこともなく、いつも師匠の愛にやさしく包まれていたあの頃。
 つらかったことがなかったわけではない。『普通の家族』に憧れたこともある。
 それでも、今よりは寂しくはなかった。師匠がいたから孤独ではなかった。

二人はやがて庭に出た。
 日当たりのいい庭は、すっかり雪が融けていた。
 まだ硬いつぼみを持った梅に近づくと不知火は足を止める。

 一馬の持っている籠からみかんをひとつ取り、途中厨房でよって借りてきた小さな包丁で半分に切る。
 そしてそれを梅の枝に刺した。
 続けてもうひとつ。
 そうやって冬木立に橙色の大輪を4つ咲かせると、不知火は近くに設置されていた長椅子に一馬をいざなった。

「私たちも食べましょう」
 不知火はそう言うと、みかんをひとつ取り剥き始めた。
 甘い香りが広がる。
 一馬も籠を自分に脇におき、ひとつみかんを取った。

「そんなに怒らないでください。私は大丈夫ですから……」
 ムスッとした表情の一馬の顔を覗き込んで、不知火は微笑んで見せた。
「……怒っているわけじゃない。心配しているんだ」
「心配しているのに、じっとしていない私に怒っているんではないのですか」
 完全に読まれている。わかっているならおとなしく寝ていればいいのにと、ますます腹が立ってくる。
 一馬は剥いたみかんを四分の一に分けると、何も言わずにひとつを口にほおりこんで咀嚼した。

 そんな一馬を見ながら不知火は続けた。
「今日は天気がいいから、こうやって外にいたほうがいいんですよ。傷も早く治るんです」
「どういうことだ?」
「この陽の光も、この土も、雪が融けてできた水も、その梅も、みんな力を持っているんです。光、土、水は、草木を育てる力を。草木は花を咲かせ、実をつける力を。植物だけじゃない。動物だって同じです」
 そう言うと、不知火はみかんを頬張った。
「みんながもっているその力を少しおすそ分けしてもらうと、早く治るんですよ」

 正直なところ一馬にはよくわからなかった。
 怪我を早く治すには、薬と栄養と睡眠をとるのが一番だと思っている。
 でも、不知火が嘘を言うとは思えない。不知火がそう言うならきっとそうなんだろう。
「心を穏やかにして、気持ちを楽にして、体の力を抜いて、体全体で世界を感じるんです。そうすると、みんなの力が入ってくるのを感じます」
 そう言って不知火は静かに目を閉じた。

 一馬も真似をする。
 体から力を抜く。怒っていたせいか、体中に力が入っていたことがわかる。ゆっくりと深呼吸を繰り返して心を落ち着ける。
 そうすると先程までの憤りは、スーッと消えていった。
 植物や動物が持っている力というのはよくわからない。
 でも、自分を包む陽の光は暖かかった。
 そして、隣に座る不知火の体温が、陽の光以上に暖かく感じられた。

 ――気持ちいい。
 一馬は、さらに精神を研ぎ澄ます。
 最も不知火に近い右腕の肌が、粟立つほどに彼を感じていた。
 ――まるで姉上に抱きしめられているみたいだ。
 姉は、やさしく、やわらかく、包んでくれた。彼を叱るときですら。
 ――いや、違う。似ているけど違う……。
 彼を包む姉の気配は、どんなときでも無条件で守ってくれる肉親の愛だ。
 しかし、今彼を包む気配は、姉ほどにやさしくも、やわらかくもない。ましてや、無条件で守ってくれるものでもない。凛とした強さが感じられる。それが彼の肌を粟立たせる。
 ――だめだ。気持ちいいなんて思っていちゃ。俺は不知火を守ってやるんだから。俺が不知火を守るんだ。
 自分よりも霊力こそ少ないが、自在に扱い、魔の者との戦い方にも長けている彼を守らなければいけないなどというのは、おこがましいような気もする。だが、たとえ力で劣り、技で負けていようとも、不知火を守りたかった。
 二度と怪我などさせたくない。側にいたかった。
 だって、ひとりはつらいから……。

 不知火は、一馬が自分の真似をしているのを感じていた。
 ――彼は感じてくれるだろうか。植物や動物が持つ力を。そして私を。
 陽の光をはじめとするいろいろなものの力が、自分の体を満たしていくのを感じる。
 しかし、彼が感じられない。
 いや、感じられないわけではない。弱いのだ。一馬より陽の力が強いのだ。
 不知火はゆっくり意識を一馬へと向ける。
 ――わかりますか? 今、あなたを包んでいる私の力が。感じますか?
 すると、スーッと一馬に吸い寄せられていった。
 ――感じてくれたのですね。たくさん心配させてしまってすみませんでした。
 心配してくれる人がいるというのは、なんて嬉しいことなのだろう。
 家族もなく、師匠もいなくなったあの日から、ずっとひとりで生きてきた。たとえどこかで行き倒れても、誰も心配してくれる人がいなかった日々。
 それが今、こうして心配してくれる人がいる。
 一馬がいる。
 ひとりでない安らぎを感じていた。
 もしこれから自分に何かあったとしたら、麗や不破や水貴や、そして豪鬼も心配してくれるかもしれない。でも、自分にとっては、彼らと一馬は明らかに違う。一馬は前世のことを知る前から側にいてくれた。そして、前世のことを知った今でも同じように側にいてくれる。一馬が自分に向ける瞳は、過去の自分ではなく現世(いま)の自分を見てくれる。
 澪姫も心配してくれるだろう。しかし、彼女が心配してくれるのは自分に「何か」があるためだ。
 ――ありがとうございます。でももう大丈夫ですから。ほら。
 さらに一馬へ意識を向けようとしたそのとき、突然、彼の体が一馬の力に包まれた。

「……一馬?」
 思わず目を開け声をかける。
 一馬は不知火を見て、問い掛けるように首を傾げた。
「あっ、いや……、突然あなたの強い力を感じたものですから、驚いて……」
「……俺もお前の力を感じた。なんだかすっごく気持ちよかった。草や木の力は全然わからなかったけど、……お前のはすごくよくわかった」
 だから自分の力を不知火に感じてほしかったのだと言うと、一馬は照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます」
 そう言うと、不知火は一馬の右手を握り、体をそっと預けた。
 どうやら今日は触らせてもらえるらしい。
 不知火はそっと微笑むと一馬に尋ねた。
「……もう一度いいですか?」
「……ああ」
 ふたりはそっと瞳を閉じた。

 そんなふたりを、みかんをついばみに来た鳥が、静かに見つめていた。

しおりさまから頂いたSS〜♪
「宿題はまだなの」と脅しすかしたおしたおかげで、やってきました
『不知火』×『一馬』〜!!
「ほのぼのです」と仰っておいででしたが、なかなかどうして
…腐ってますなッいい感じに(誉)。

これをお読みの方で「もう一歩進んだ二人を」と仰るアナタ。
〜BBSにてしおりさまにコールして下さい(笑)。

楽しいおまけも頂いてるのですが、こちらはもう少しお時間を、ね。