廊下に漂っている甘い匂い。
それに重なるように流れてくる幽かな歌声。
「この歌、聴いたことあるな…」
歌っているのは麗。
彼女の歌声を追いかける、たどたどしいもう一つの歌声。
麗は、その声のために、同じ箇所を行きつ戻りつしている。
もう一人の歌声の主、豪鬼にその歌を教えているらしい。
「あ、あれだよな、この歌。ビスケットが…」
不破が云いかけたところで、一馬が呟いた。
「…ビスケットが粉々になるやつ…」
そう、それはポケットの中のビスケットが増えていく、あの歌。
一馬の発言を聞いた不破と水貴は、ちょっと複雑な顔をして顔を見合わせる。どうもお互い同じ事を考えていたようだ。
そして水貴はその事が気に入らなかったのか、ふいっと横を向いてしまった。
不知火は笑いながら、
「違いますよ。ビスケットが増えていくんですよ」
一馬はちょっと納得いかない風に、
「そうか?俺はてっきりビスケットが割れてくんだと思ってた」
「そりゃ、ポケットの上から叩いたらフツーは割れるわな」
と、自分も一馬と同じ事を考えていたくせに、からかうように不破は云う。
「そりゃ、そうかもしれませんけど」
不知火は笑いながら、
「…このビスケットは『しあわせ』ってことなんですよ」
「えッ?」
かなり突拍子のない意見に、思わず3人は不知火の顔をまじまじと見つめてしまった。
「何でビスケットが『しあわせ』なんだ?」
という一馬の問いに、
「この歌は一つの『しあわせ』を分けあうって意味なんです」
「…だけど分けすぎて粉々になった『しあわせ』なんて、ほんとに『しあわせ』って云えるのかい?」
さっきから仏頂面だった水貴が異議を唱えた。
「何もナイよりは『しあわせ』なんじゃないの?粉粒ぽっちでもさ」
と不破が答える。
「大きさの問題じゃなくて、『しあわせ』が増えていくってことだそうです」
持っている『しあわせ』を分ける。
そして分けられた『しあわせ』は、届いた先でまた分けられていく。
その繰り返し。
「師匠の受け売りですけどね」と、不知火は小さく笑った。
「ふうん」
何となく黙ってしまった彼等の上に、相変わらずあの歌が流れている。
「声がすると思ったら」
麓が笑いながら、台所から顔をのぞかせた。
「今、ビスケットが焼けたところなの。おやつにしない?」
4人は各々に返事を返して、麓のいる方へと歩いていく。
豪鬼の歌っている「『しあわせ』が増える歌」を聴きながら。
了
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